海外に出てもっと視野を広げたい!

価値観を変えたい!

人生を変えたい!


遠い海の向こうの地に憧れたことはありますか?

勇気を出して日本を飛び出したら

違う世界が待っているかもしれません。


一緒に夢を叶えませんか?

あなたが出会いたい人と出会えるコミュニティ


海外旅行が大好きだけど一緒に行く友達がいない

留学、ワーホリしてみたいけど周りに経験者がいない、

将来海外移住したいけど知り合いがいない、


GISは好奇心旺盛は、海外好きの人が集まるコミュニティです。

同じゴールを持っている素敵な仲間や、あなたの出会いたい人と出会うことができるはずです





主宰者のGIS運営の思い


初めまして。GIS主宰者のAyaと申します。

現在、オーストラリアのメルボルンにて2児のママ、主婦をしております。

海外旅行が大好きで、OL時代はボーナスで年に一度の海外旅行が唯一の楽しみ!でした。

毎日、変わらない環境と同じ仕事の繰り返しに「何歳までこれ続けるの?」と恐怖を覚え、英語もほとんど喋れないまま、思い切って26歳の時に単身カナダに渡りました。

カナダの後に、ご縁がありオーストラリアへ。人脈も学歴も英語力もないですが、永住権を取得してオーストラリアに移住し、12年になります。

日本は素晴らしい国ですが、海外に出て初めて外から見た日本。

  • 今後未来の子どもたちのことを考えるとどうなのかな?
  • QOL(クオリティオブライフ)を考えたら他の国に住んだ方が幸福度が上がるかな?
  • 日本は10年以上賃金が上がらないけど、物価は上がっていくのかな?


などなど、日本国内にいたらなかなか気づかない「海外から見た日本」を知ることで、より良い人生の選択ができるかと思い、

グローバルな方たちをお繋ぎするコミュニティを作りました。

将来海外移住したい、ワーホリに行きたい、海外起業したい、留学したい方。

もしくは、私のように「旅行が大好きーー!」という方

ぜひこのコミュニティで楽しく体験や経験、意見をシェアして

一緒に人生を’豊かにして行きましょう



GIS主宰のMomokoです。大阪在住のシングルマザーをしています。幼稚園の頃にアメリカに住んでいました。

英語は喋れませんが、海外渡航歴は16カ国ほど。家族や友達、時には一人旅をすることもありました。海外にいく理由の内の一つは、自分の知らない世界を知っていくことが好きで、当たり前だと思っていることは他の国の当たり前ではなく、自分の視野、価値観を拡げてくれる場所であるからこそ、いろんな国に行くことをこれまでも、そしてこれからもしていきたい。そしてたくさんの想い出を共に創り、分かち合える仲間ができることを楽しみにしています!選択肢の幅を広げたい方、お待ちしております!

グローバルサロンGIS

活動内容


1メンバー限定専用サイト閲覧権利


海外移住する方法や、ビザ、仕事、海外生活をスタートするにあたり、現地生活情報などをまとめた専用サイトを見放題!

他では聞けない、あなたの知りたい情報が詰まっています。


2 会員様限定コミュニティーメンバー交流


グループラインにて、メンバーさん同士、情報交換ができます。


3 ゲストスピーカーによる講義(月1回)

海外で活躍されている方をお招きして興味深いお話を聞きます(Zoomにて開催)

CA, 会計士、秘書、留学生、ワーホリさんなど。


4 少人数制オンラインお茶会開催(不定期開催)

大人数だと話しにくい、気が引けるという方はぜひ少人数制のお茶会にご参加ください。

日程は、ママさん向け平日昼、や働いている人向けに平日夜、土日開催などランダムに行なっています。


5 海外のノマドワーク特別講座

世界中どこにいてもできるリモートのノマドのお仕事についての特別講座の開催。



以下のトピックでさまざまなテーマで講座開催

ボディメイク

ビューティー

英会話

海外旅行

留学、海外移住、ワーホリ、海外起業

エシカル サステナブル

ウェルビーイング









主なトピック

講座、コミュニティ勉強会

  • ビューティー
  • 英会話
  • 旅行 グローバル
  • 留学、海外移住、ワーホリ、海外起業
  • エシカル サステナブル
  • マインドセット


コミュニティ

  • メンバー専用グループライン
  • メンバー交流会、オンラインお茶会
  • 各種イベント開催



このコースは登録のためクローズしています。

GISアンバサダー#1

旅育マイスター母娘地球3周

AJPCポーカープロ、スポニチアンバサダー

石田有里さん&セーラちゃん親子



こんにちは。私は愛娘と旅をしながらプロポーカープレイヤーとして活動しています。いままで娘と二人で世界3周半旅をしてきました。

GISは、旅好きの人が多く集まっていて、旅が大好きな私と価値観が合う人と繋がれるのがとても嬉しいです。

私は、娘を「旅を通して生きる力を育む=旅育」というものを実践しており、同じように旅育を推奨されているママさんたちがいるのも嬉しいです。

海外在住者や海外留学、ワーホリ経験者も多く、私自身、サイパンで海外就職をしていたこともありますが、普段の生活ではなかなか出会えない方と知り合うことができ、視野が広がりました。

娘と二人で世界を飛び回るライフスタイルについて、私のその思いや考えに共感してくださるメンバーさんたちとの出会いに感謝しています。

私も、人生を変える一歩を踏み出す勇気を誰かに与えられたら光栄です。


GISアンバサダー#2

2023年 オーストラリアワーキングホリデー
オーペア・日本語教師

川田 空さん




高校生の頃から、ずっと海外に住むのに憧れていました。夢を叶えるために、日本では英語の専門学校に通い英会話力を磨き、子供たちに英語を教える教師の資格を取りました。

現在は、オーペアと日本語教師の仕事をしながら、生きた英語を毎日学び、楽しくストレスなくワーキングホリデー生活をエンジョイしています。

ワーキングホリデーを成功させるコツは、準備を万全にすることです。

コミュニティ内では、私が日本で準備をしてきた成功するワーホリの秘訣などをご紹介しています。

世界中からメンバーが集まるZoomミーティング


気軽にメンバーと情報交換できるオンラインーティング、

お茶会、勉強会を開催。

忙しい方でも気軽にご参加できるようにカメラOFFでもokです!

おしゃれなカフェやレストランに集合!メンバーオフ会



メルボルンと日本で不定期に開催しているオフ会ですが、

パンデミックの影響で只今はお安い中です。落ち着いたらまた開催するのでぜひご参加ください。

各種リアル講座開催


写真の綺麗な撮り方レッスンなどリアルでの開催をしています。

パンデミックが終われたばまた再開します。

お申込みはこちら


旅で人生が変わった話。

第1章 初めての海外旅行のカルチャーショック

はじめまして。GIS主催のAyaと申します。ちょっと長いですが私がGISを運営するまでの道のり(半生)をお話しします。

私は、旅行が大好きで日本では旅行代理店に勤め、お客様の旅行のプランや予約を取ったり、添乗業務をしておりました。

会社員でしたので、休みもあまりなく1年に1度親友と近場の海外旅行に行くのを生き甲斐に生きていました。

国内旅行も好きですが、海外に行く時のあのなんとも言えないワクワク感、いったことがない場所に行き、自分の視野が広くなることや新しい価値観に出会えることが嬉しくて、旅行に行くために仕事をしているようなものでした。

そもそも、なぜ私が海外旅行にはまったきっかけは、16歳の時に初めて行ったハワイ旅行でした。

当時は今ほど日本の観光地化していなくて、日本語も通じない場所がほとんどで英語が通じず苦労をした旅行でしたが、私はハワイの人々ののびのびとおおらかに生きている姿を見えて衝撃を受け、感動しました。

大袈裟かもしれませんが、本当にあの時の16歳の私には、「こんな世界があるのか!」とショックを受けたものです。

(※写真はカナダワーホリ時代です)

自由な国は、自由だった、、。

当時高校生だった私は、校則も厳しく、先輩に目をつけられないように、なるべく目立たないように、人からどう見られているのか、をすごく気にして生きていました。

流行りの服を買ったり、去年の服はもう着れないとか。誰もこれをしてないから、私もこうしないと、とか。

自分の気持ちよりも、場の空気を読んで常に生きている。

そんな時に、ハワイにいき、現地の人がめちゃくちゃ太ってるのに派手なビキニをきてビーチにいたり、おばあちゃんがミニスカート履いてたり、、、。

誰も人の目を気にせず、自分の好きなことをしていたのにショックを受けました。


安定した企業に勤めてみたけれど、、

海外旅行への熱い思いを胸に、短大卒業後、氷河期真っ只中で旅行会社を何社も受けましたが全滅。内定をいただけた損保会社に就職しOLをしていました。

土日祝日お休み、ボーナスが3回あり、残業もほとんどない。そんなありがたい会社でしたが、仕事内容はクレーム処理のようなもので、毎日同じ職場の人と同じオフィスで同じように働き、これを何十年続けるの?と考えたら怖くなりました。


3年くらい働いたら、寿退社をして子供を産んで親の近くに住み、生まれ育った地元で子供を育て、やがて歳をとって死ぬ。という人生が最高の人生なのか?


確かに安全ゾーンでリスクを最大限に回避している人生だと思う。

だけど、それが幸せなのか?



第2章 親の猛反対を押し切って転職


私は、やっぱり自分の夢が諦められず安定した会社の正社員を辞めて、地元の旅行代理店へ転職を決めました。


親からは猛反対され、めちゃくちゃ怒られました。

転職してからは、大好きな旅行が仕事になって嬉しくて仕事に行くのが毎日楽しかった反面、女性ばかりの職場ということで先輩が怖かったり、と前職にはない問題もありましたが、それは同期の仲間とミスをかばったりでなんとか乗り切りました。(青春)


サービス業なので、土日出勤、長時間勤務、安月給、ノルマあり、など条件的には厳しかった反面、やはり好きなことを仕事にできて、両親を招待旅行へ連れて行ったりできたことはとても嬉しかったです。


お給料がいいのもとても魅力的だけど、私は嫌な仕事をお金をたくさんもらえてやるよりも、お給料が少なくても好きな仕事をやる方が好きでした。



運命を変えた旅


ある年、いつのものように親友と毎年恒例の海外旅行に。

この年はケアンズにしました。

そこで私の運命を変える出会いが。


私は旅行業をしていたので、「現地ガイド」という仕事にすごく興味がありました。でも、きっと海外で働ける人は、大企業のエリート駐在員なんだろうと思っていたので、私には叶わぬ夢だと思っていました。

ところが、このケアンズ旅行で運命を変える出会いがあったのです!

「未来の旦那さんに出会ったのか?」という文章の書き方になりましたが、残念ながら違います。笑

私たちは、体験ダイビングのオプショナルツアーを申込みました。そして、そのツアー主催会社の船で働くたくさんの日本人に出会いました。

それは私の中で衝撃的で、「どうしたら海外で働くことができますか?」と聞いたら、「ワーキングホリデービザなら海外で働けるんだよ」と教えてもらい、親友と大興奮したのを今でも鮮明に覚えています。


旅行から帰ってきて日本に帰国後、すぐにワーキングホリーでについて調べました。今から20年も前、まだスマホもなければ、ノートパソコンも普及していない、でっかいデスクトップのWindowsが最先端の時代ですから、ググってすぐに欲しい情報に辿り着ける時代ではありません。

自分の知り合いや、地元の青年協力センターなどのワーホリ講演会などに参加し、1年ほどかけて情報を集めました。

石橋を叩いて結局渡らないで終わってしまうタイプの私とは正反対の親友は、ケアンズで「ワーホリ」という言葉を聞いてから、すぐに会社に退職届を出して、半年後にはワーホリビザでオーストラリアに旅立ちました。(行動力が違う)


その姿に背中を押され、「私もやならきゃ!」と思い、1年間悩んだ後、会社に退職希望を出し、お金を貯めるために当時はまだそんなにメジャーではなかった「派遣社員」として某メーカー内のインハイス旅行代理店で働き始めました。


当時は飛行機もLCCなどなく、航空券も10万円以上が普通で、ワーホリに1年行くなら100万円持っていけ、といわれていました。

都会なら時給が高いバイトなどもあったと思いますが、私の地元は田舎なので時給も安く、昼は派遣、夜はセブンイレブンで時給900円でバイトをしていました。

予定通り1年でお金を貯めることができ、いざワーホリへ!

ずっと実家暮らしだったので、初めて地元を離れ、親元を離れて暮らすことになり、とんでもなく不安でした。



第3章 初めての海外暮らし・ワーホリに選んだ先はカナダ


親友がオーストラリアにワーホリしていた時に一度訪れたのですが、その時「ちょっとオーストラリアは違うかなぁ」と感じました。

というのも、場所がゴールドコーストだったのですが、留学生やワーホリがシェアハウスに集まって、マリファナ吸ったり、クラブ行ったりという、いわゆる 「パリピ」(死語?笑)だったので。

私は、カナダで「ツアーガイドになる!」という夢を持って渡加しました。

最初の1ヶ月は、ホームステイしながら語学学校に行きました。スマホも家にPCもない時代で、学校帰りに留学センターによってメールを確認するのが唯一の楽しみで、食べ物や習慣の違いのストレスから体調を崩し、すっかりホームシックになって、もう帰りたい〜という気持ちになっていました。

バンクーバーにいましたが、語学学校は日本人ばかりだし、ダウンタウンもアジア人ばかり。ホームステイ先もフィリピンのご夫婦の家で(良い方でしたが)私の理想としていた海外生活とはかけ離れていました。


西海岸から東海岸へ大移動を決意



語学学校が終わって、さぁ!これから仕事を探そう、と思い、バンクバーバーの旅行業合同就職面接会みたいなものに参加しました。

ホテルで行われた面接会ですが、大手旅行会社から小さい会社までが参加していました。日本での旅行業の経験がかわれ、応募したほとんどの会社からオファーをいただくことができました。

バンクーバーはオフィスワークのオファーが多く、やっぱり夢だった現地ガイドになりたいと思い、世界的観光地であるナイアガラフォールズへ移動を決めました。

バンクーバーからトロントへの移動は飛行機で4時間半。大荷物を抱えて大移動です。


憧れの現地ツアーガイドとして働く日々


私は旅行が大好きなので、お客様がいい思い出をたくさん作ってもらうお手伝いがしたいと思っていました。旅の思い出はプライスレス。


初めての海外でのお仕事となったわけですが、私を含め同期が5人。年齢もバラバラ。そして英語力は私以外は留学経験などがありビジネスレベルの英語力。日本で旅行業経験があるから大丈夫だろうと思っていましたが、英語力がないのは致命的でした。

とはいえ、お客さまは日本人。ドライバーとホテルのスタッフと空港スタッフも通うごとに私の下手な英語を聞き取ってくれるようになり、3ヶ月を過ぎる頃にはなんとか、、。


1年間のワーキングホリデービザが終わる前に、もう一年ここで働きたいと会社にお願いして、ワークビザを出してもらうことにしました。

ツアーガイド2年目の海外生活



同期の5人のうち私を含め3人はワークビザを出してもらい、2年目も一緒に働きました。

人間関係も構築でき、会社の人やお客さんにも恵まれ、本当に毎日楽しく充実した日々を過ごすことができました。

夜中まで勉強したり、遊びに行ったり、職場の仲間と出かけたり、、。

かけがえのない思い出がたくさんできました。

ガイドの仕事も、任せてもらえるツアーが増えてケベック州へ泊まりでツアーに行って良いホテルに泊まらせてもらいました。

カナダで出会った全ての人に感謝をしています。


そして、ここでもまた私の運命を変える出会いがあったのです。

結婚適齢期女子への世間の風当たり


カナダから日本へ帰国後、地元の自動車メーカーの旅行代理店で働きました。

この時28歳だったので、地元の友人はほとんど結婚して子育てをしていました。親親戚、友人から「そろそろ落ち着いて。結婚したら?」「この先どうするの?」と心配やお説教の毎日。

久しぶりの地元は気の知れた友人や家族もいて、とても居心地が良かった。反面、見慣れた風景、変わり映えしない毎日に不安を覚えました。


そんな中、カナダ時代に一緒にツアーガイドをしていた友人から連絡があり、今オーストラリア人の彼氏とメルボルンに住んでいるからワーホリに来たらいいよ。と誘ってもらいました。

2度目の海外生活に踏み切るまで時間はかからず、すぐに決断し友人の元へ。仕事と住むところも探してもらい、またツアーガイドとして働かせてもらうことができました。




メルボルンで運命の出会い





カナダ、トロントに比べてメルボルンは小さいこじんまりとした街。英語はオーストラリア訛りで、北米とは違いエンターテイメントもあまりなく、あるのは自然だけ。

田舎育ちで都会生活に憧れていた私には、ちょっと物足りない、というのが正直な感想でした。

「オーストラリアあんまり面白くないから1年で日本に帰ろう」と思っていた1ヶ月前に主人と出会うのであります。

その後、いろいろありますが中略。1年遠距離恋愛のち結婚してオーストラリアに移住。



第4章 オーストラリア永住


オーストラリアへの移住は大変でした。オーストラリア人と結婚した場合は、英語力の証明などなしにビザが出るのですが、主人も日本人でしかもビジネスビザ保持者だったので、ここから二人で永住権申請の挑戦が始まりました。

まず、永住権を取るために「IELTS」という英語力を証明する試験を受ける必要があります。

そして、健康を証明するための健康診断や、職業のスキルを証明するための書類などが必要でした。

先進国の永住権を取るという行為は思ったよりもとても難しく、イミグレに強い専門弁護士を雇うことがとても重要でした。実際、弁護士やビザコンサルタントに100万円払ってビザが取れなかった、というのはよく聞く話です。オーストラリアは意外にコネ社会。



知識もスキルもゼロからレストラン経営

私の主人はレストラン経営をしていて、結婚の条件は「私は絶対にお店では働かないこと」でした。

理由は、私は料理が下手だし苦手、とワーホリでバイトしていたお店が夫婦で経営していて毎日夫婦喧嘩がすごかったから。笑 トラウマになる程すごかった。


というわけで、結婚してからシティの某オンライン旅行会社に勤めてました。が、人生いろいろあって主人のビジネスを手伝うハメになるのです。

レストランの経営なんて興味もなければ、経験もないし、なんで私がやらなきゃいけないの?という気持ちでイヤイヤしていましたが、一緒に働く仲間たちや知り合いのレストランオーナーさんたちに助けられ、徐々に意識は変わってきました。

お酒を販売するために講座を受けてライセンスを取ったり、会計を学んだり、(PLもBSも分からなかった)給料の支払い方やオーストラリアの法律、スタッフのトレーニングやマニュアル、契約書の作成など。

当たり前だけど全部英語なので、見たことも聞いたこともない文書が送られてくるのを調べながら読んだりして、何が分からないのかが分からないという状態からスタートしました。


女性が男性と対等な国

オーストラリア


日本では女性は男性の3歩下がって歩いていく文化、というのがあって

「旦那さんを立てる」のがいい奥さんという古き良き時代の女性像があります。

うちは主人も日本人なので、私もあまりでしゃばらないようにしよう。という感覚でビジネスをしていました。

ですが、ある日きたお客さんの一言に衝撃を受けたのです。

こちらの方ってすごいフレンドリーなので、めちゃくちゃ話しかけてくれるのですが、とあるご夫婦が来て奥さんといろいろお話ししていた中で、「あなたここのオーナーなの?あなたのビジネス?」と聞かれた時に、私は主人を立てないと、という日本人的考えから、「主人がオーナーでしているビジネスで私は手伝いをしているだけです」と答えたら、

「あなたの旦那さんのビジネスってことは、あなたのビジネスよ」

と言われて、すごくびっくりしました。

この国では、女性も男性も平等、ビジネスをやるならそれも平等。旦那さんだけがオーナーで奥さんは旦那さんのために下働きをする、という概念はありません。

それを聞いてハッとして、私自身、自分が女性だから、と無意識に責任から逃れていた事にも気づき、仕事に対する意識が変わりました。


年齢も性別も関係ない



私の学生時代は、中学、高校時代の1個上、2個上の先輩なんて神レベルで怖くて口なんて聞けませんでした。笑 会社に入っても年功序列。日本人にとって年齢とはとても大切なもので、年齢に対する価値観があります、「もう何歳だから結婚しなきゃ」「こんな年になって大学には行けない」企業の求人は、30歳以下しか雇わないなど、歳を重ねるごとにどんどんできることが制限されて行きます。

「窮屈だな」「もっと自由に行きたいなぁ」と感じます。

あなたはどうですか?

日本人は我慢強い

日本には我慢が美徳 という文化があります。私もずっと、「我慢する」することが良いことで、諦めることは「わがままで悪いこと」だと思い生きてきました。

でも、海外に来たら違いました。

「やりたくないことは無理してやらなくていい」のです。

それは、「やりたくないことを全てやらない!」ではなく、自分に必要のないやりたくないことを我慢してやる必要がない、という考え方です。


例えば、学校でいじめられていても、心が壊れてしまうまで我慢するとか、。

ブラック企業で過労死するほど働き続けるとか。

海外には、「働き過ぎて死亡する」という概念がなく、日本語の「過労死」という言葉がそのまま「KAROSHI」と英語になって辞書に載っている。Sushiと一緒よ、KAROSHI 日本の文化。


何かを目指す上で、辛いけど頑張って成し遂げるというチャレンジは人生にとって必要だけど、自分に一切プラスにならない「我慢」は、ただ人生をすり減らしているだけなのです。



日本人女性に根付く自己犠牲の精神



日本人女性は面倒見が良く、我慢強いです。特に結婚して、育児をするママたちは、家事、育児、仕事、をほぼ全て一人でやる方が多いですね。

日本の男性が、歴史的、文化的な理由から、家事や育児に欧米の男性と比べてあまり積極的でない方が多いので、必然的に全て女性に負担がかかってきます。

それでも、ママたちは「自分さえ我慢すれば家族が幸せになれる」と思い、結婚、出産を機に、自分の人生を放棄する方も少なくないでしょう。

昔は、男性が冗談で「結婚は墓場だ」なんて言っていた時代もありますが、女性から言わせて貰えば「こっちのセリフ」ですよね。

子育てしにくい社会ですので、統計によると日本では「子供がいる女性の方が幸福度が低い」そうです。

こうして少子化がどんどん加速して行くのでしょう。

結婚してもママになっても自分の人生を楽しめる女性がたくさんいる社会を目指したいですね。

<世界の物価と日本の物価について>

オーストラリアのラーメンの値段とバイトの時給


日本の有名なラーメン屋さん一風堂が、メルボルンにオープン!家族でたまに行くけど、

ラーメンいくらだと思いますか?

これ24ドル(2000円くらい)餃子頼んだりするから家族四人で100ドル(1万円くらい)です。

これラーメンだけじゃなくて、カフェでサンドイッチ食べてもお昼代2500円くらいする。

そして、オーストラリアのバイトの時給は2500円くらい。日曜祝日働くと時給3500円ー6000円くらいです。

日本はラーメン500円くらいですか?ラーメン屋のバイトって時給1000円くらいかな?

日本は物価も時給も安い。

<子供たちの未来について>

戦後から変わらない日本の学校教育



協調性を養うために集団生活を学んだり、礼儀を重んじるのはとてもいいと思います。

ただ、海外の教育より30年も遅れている日本の学校教育はいかがなものか?

この国の未来を作るのは子どもたちであり、教育は国にとって一番の投資であるはず。

だけど、日本の義務教育は、教室に机を椅子を置き、先生が一人で喋って生徒に考えさせることもしない。

生きていくのに大切なのは、教科書を丸暗記することではなく、「考える力をつけること、問題解決能力が必要である」

海外の比べて自己アピールや意見を交換するディベート、プレゼン、ディズカッションが少なすぎる日本の教育。

これでは海外に出た時に戦えない。

<海外から見た日本>

日本は本当にオワコンなのか?



私がオーストラリアに移住した2009年の頃は、日本車や日本の家電、電化製品は世界でもトップクラス、もちろんアジアトップ。日本は先進国で優秀な人材が多く、豊かな国!という印象でした。

電気屋さんにも日本製品が多く売られており、日本車もたくさん乗っている人がいて、日本人としてとても嬉しかったです。

それがいつ頃からだろう?電気屋さんに並ぶ製品が中国、韓国製がほとんどで日本製のものが置いてない。あっても2−3個隅の方に、、。

運転していても、韓国の車が目に付く、、。

アジアトップだった時代はもう終わったのかもしれない。


第1回インタビュー

娘と二人で地球3周半!プロポーカープレイヤーのゆりさんにインタビュー!


第2回インタビュー
ノマドデザイナーのさやかさん
第3回インタビュー

オーストラリアの現地の会社でソーシャルメディアマーケターで就職


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